abiasの長文置き場

思ったことを思った時に書きます

俺とインターネットの付き合い

近頃インターネット老人会なる存在をTwitterでちらほら見かけるようになりましたね。俺も一応その端くれなので、「わしの若い頃はのう……テキストサイトというのがあってな……」みたいなのをニコニコしながら眺めています。

とは言っても俺はある程度ネットが普及してからハマりだした口、いわばインターネット団塊世代ぐらいの存在なので、真の老人たちからは「テレホタイムも知らずに老人会とな!?」と麻呂みたいな突っ込みを受けそうですが見逃して欲しい。俺だって「Twitterって昔はいいねじゃなくてふぁぼって言ってたんだぜ!!!」みたいなやつを見ても鼻で笑って流しているのだから……

そんなわけで、今回は特に山もオチもない、俺の在りし日の思い出をエッセイ風に語ってみたいと思います。

 

 

 
 
大迷宮インターネット邂逅編

俺とインターネットの出会いは小学生の頃だった。それまで家にはワープロと呼ばれる、常にワードだけが起動しているバグったデスクトップPCみたいなやつがいたのだが、新たに家に来たノートPCも似た存在なのかなと思った。

初日にデフォルトで入ってるタイピングのゲーム(なんかギャングみたいなのを撃つやつ)を少し遊んで、Yahooのサイトを見たと思う。しかしながら当時の俺は、ゲームキューブマリオパーティカービィのエアライドを延々と一人でプレイするのに忙しかったので、まだ特に興味は示さなかった。

少し経って、クラスメイトが「面白いサイトを兄から教えてもらった」と話していた。おもしろフラッシュ倉庫である。当時はいわゆるFlash黄金期……を少し過ぎたぐらいの時期だった。その友人の家でラリったサザエさんみたいなFlash動画を見せられた俺は爆笑し、ハマりにハマった。自分の家でも毎日ドラえもんの絵描き歌とか空耳とか棒人間が戦うやつとかを飽きもせず見ていた。

俺が一通りの有名なFlashを見終えた頃、友人は新たなコンテンツに手を伸ばしていた。ネットゲームである。とは言ってもやっていたのはCGI製でボタンをクリックしていくだけのブラウザゲームだった。FFAだかFFBだかいうそれは、ダンジョンに入り、自動で行われた戦闘ログによってキャラを育てて、ひたすら上がっていくパラメータを見て悦に浸るだけのものだった。俺はハマりにハマった。友人とはチャットをしつつダンジョンに潜り、攻略情報なんかを語り合った。中堅のギルド的なやつにも一緒に所属していた(システム上には存在しなかったので、名前に○○隊とかつけるだけの緩い繋がりだった)

この頃から、家に帰ったらPCの電源を入れるのが日課になった。まれに母が家で長電話をしている日があり、その間はダイヤルアップ接続でのインターネットが出来なかったので結構イライラしていた。ゲームを遊ぶ機械はゲームキューブからパソコンに移っていたのだった。

 

 

大迷宮2ちゃんねる侵攻編

Flash動画を置いているサイトは、だいたい動画の種類によってカテゴリ分けされていた。"空耳系"、"ドラえもん系"、"楽しい○○"、そして……"2ch系"。2ちゃんねる。名前は聞いたことがあった。闇のサイトみたいな感じで、危険なやつだ。ロックマンエグゼで見た。

当時の俺のPCの操作スキルは非常に低く、windows標準のピンボールをうっかり全画面表示にしてしまい、右上の×ボタンが押せない!閉じれない!!と親に泣きついてPCサポートに連絡してもらった思い出がある。(Alt+F4を押せと言われた)

親からも「変なサイトは見るなよ」と言われていたので、それらは見ていなかった。変にビビりで、変にいい子ちゃんだった俺は、何が起きるかわからないので2ちゃんねる系のFlashは見まいとしていた。

と思っていたが友人の家で見せられた。変な猫みたいなキャラクターがいっぱいいるだけだった。むしろ楽しそうなイメージを持ち、俺は2ちゃんねるにアクセスしてみることをあっさりと決めた。

入り口の壺の画像をクリックすると、画面左にはずらりと並ぶ各種板の一覧。俺はドラクエが好きだったので、DQFF板を開いてみた。リンクの青色が画面を埋め尽くし、目が痛くなるほど大量のスレッドのむれがあらわれた。

俺がよく見ていた、DQの攻略掲示板やワザップなんかとは比べ物にならないほどの情報量がそこにはあった。たまに意味不明な文字の羅列もあったが、それもアングラっぽくて俺はワクワクしていた。当時はFF12だか13だかがボロクソに叩かれていた気ガス。もとい気がする。

それからしばらく、俺はDQFF板に住み着いた。といってもまだ書き込みはしていなかった……"半年ROMれ"というやつである。スレの流れや雰囲気、口調、お決まりのネタやコピペ、2ちゃんねるに料金はかからないこと、fusianasanと打つのは罠だということ。色々と学んだ。

そして、とある日。いつものようにスレをじっくり眺めていると、最新の書き込みにしょうもない間違いの内容を見つけた。いつものスレ住人なら、ここは叩いているはず。よし、俺がやろう。俺は初めて2ちゃんねるに書き込みをすると決めた。「>>520 何言ってんだこいつ(藁」みたいな感じだったと思う。こんな短文だが、何度も内容をチェックした。口調もそれっぽい感じだ。アンカー先のレス番号も確認した。大丈夫だ。何も問題はない。いざ、カキコ。

書き込んだ内容を確認する。あれ?見つからない。なんでだ?エラーか?原因はすぐに判明した。俺は2時間も前の書き込みにレスをしていたのだ。その間にスレは伸びに伸び、100レスほど進んだ先で、いきなり誰も注目していなかったアホな書き込みにツッコミを入れてしまったということになる。

俺は血の気が引いていくのを感じ、ブラウザを閉じて寝た。今思い出しても恥ずかしい失敗談である。

 

 

機工城ネットゲーム起動編

中学生になった俺は、コンピュータ部に所属した。いや、マイコン部だったか。どっちでもいい。放課後にコンピュータルームでゲームをして過ごすだけの部活だ。数少ない友であった件の友人は運動部だったので、部活で出来た新たな友人とFFBをやっていた。とは言っても段々飽きてきていて、なにか面白いゲームはないかと探していた。

そんなある日、前述したギルドの掲示板で、「ダンシングおにぎり大会」なるものが開かれた。ダンシングおにぎり、ご存知だろうか。おにぎりのアスキーアートがモチーフの、ダンスダンスレボリューションっぽい、Flash製の音ゲーだ。音ゲーなど見たこともなかった俺はクリアも出来ず、スコアもがたがただった。見栄っ張りな所がある俺は、とにかく必死で練習した。家で、部室でプレイし、授業中に矢印キーを叩くエアプレイもしていた(今思えば厨二時代の痛い行動ランキング上位に入る)

要はダンおににハマっていたのである。昔取った杵柄、今でもある程度は遊べる自信があるし、他の音ゲーを人並みにできるのはダンおに譲りだ。また、後に語る、とあるゲーム作品との出会いも、思えばダンおにからだった。(どぶウサギさんやビートまりおさんの曲をよく遊んでいた……で通じる?)

さて、あくる日、俺はいつものように部室でダンおにを遊ぼうとしていると、先輩が新しいゲームを遊んでいた。段差のある横スクロールのマップで、キャラクターが飛び跳ねながら、短剣を振り回してキノコの敵を叩いていた。メイプルストーリーである。

画面いっぱいに広がるゲームの世界と、たくさんのプレイヤー。しょぼいFlashゲームとブラウザゲームしかやってこなかった俺は驚愕した。こんなん、こんなんゲームやん……ゲーム機のゲームやん……俺はすぐにハンゲームへ登録し、クライアントをインストールし、ゲームを始めていた。なお、メイポは当時使っていたハンドルネームの特殊記号が名前に使えなかったため、数日で萎えてやめることになることを記述しておく。

MMO、カードゲーム、メタルスラッグみたいなやつ、色々やった。そして俺が選んだのは2DのMMORPG耳としっぽの大冒険 トリックスター+だった。なぜこれを選んだのかはわからない。あるいは別になんでも良かったのかも知れない。俺はファンタジアサーバーのオーロラアイランドでに降り立ち、兎のキャラクターとなってタコを倒し、魚を倒し、レベルを上げた。そのうち思い立って野良のギルドにも所属した。皆いい人たちばかりで、笑いが絶えなかった。毎週土曜の夜中には全員でタコ帽子を被って集会が開かれ、フィールド全域を使ったマラソン大会や、巨大な街であるメガロポリスでかくれんぼをしたりしながら、チャットでわいわいやっていた。ギルドで一番レベルが低かった俺は可愛がられ、なんとかレベルが60に到達して一次転職した際には盛大に祝ってもらった。俺も早く強くなりたいとひたすらアラクネを倒し続けた。低レベルながら、Gv(ギルドバトル)に連れて行ってもらって初めて参加した時のドキドキは今でも覚えている。瞬殺された。初めて親に頼んで課金する許可も貰った。課金限定の、90日間だけ有効なマントの装備を購入した時はめちゃくちゃ嬉しかった。平日は夜中まで、休みは一日中、俺の中学時代はこのゲームとともにあったのだ。

 

大迷宮ネットオタク真成編

中学も最終学年になる頃には、俺はいつの間にかトリックスターにはあまりインしなくなっていた。おそらく飽きが来たのだと思う。ここまで読んでくれた方はわかると思うが、俺は熱しやすく冷めやすいタイプのカスだ。

当時話題になっていたニコニコ動画陰陽師だの改造マリオだのらき☆すただのを見ているくらいにはオタクに染まり、ネットの深みにハマっていた。俺は部室とネット以外に友達はいないと言っても過言ではなかった。

そんなある日、ランキングに上がっていたIOSYSの動画が気になっている頃に、友人が部室に一枚のゲームディスクを持ってきた。東方花映塚である。これが東方Projectとの出会いだった。

これが東方ってやつなのか、対戦STG?へぇ、キャラがいっぱいいるのか……というファーストインプレッションの直後、金髪の白黒魔法使いこと霧雨魔理沙を見て電撃が走った。ビジュアルがとにかくツボだった。花映塚魔理沙、今見ても原作絵史上トップクラスに可愛いと思う。

とにかく、この日以降俺は東方という世界にどハマリした。ネットでは"魔理沙俺の嫁"と言ってはばからなかった。風神録を頑張ってクリアしたり、原曲を何度も聞いたり、魔理沙と暮らしている体で日記をつけたり、緋想天が発売される日はとらのあなへ初めて足を運んだりもした。

そしてそんな気持ち悪いオタクたちが行き着く場所といえばどこか?2ちゃんねるである。俺はDQFF、AA長編、ガイドライン板に加え、外部の東方のしたらばを巡回するのが日課になっていた。

ある日、決まった板ばかり見ていた俺は、たまには他の板でも覗いてみようかとふと思い立った。さて、何を見ようか。……当時の俺は思春期真っ只中だった。板一覧の下の方に、BBSPINK(18禁)という他の板とは一線を画した郡があるのを知っていた。いつもは興味はありつつスルーしていたが、やっぱ行こう。えっちなの、気になる。健全な男の子だもん。仕方ないよね。

だが、いざエロいものを見ようと決めたはいいものの、どの板を見るか、……いや、見ればいいのか、全くわからなかった。というのも、今でこそエロい二次の絵が見たいなら角煮(半角二次元)板へ行けばいいことを知っている。三次の画像なら文字列(半角文字列)の方だ。だが、知識もなく、そんなことがわかるはずもなかった。その末に適当に一つ開いたのは……オリキャラであった。

説明しよう。オリキャラ板とは、「学校」とか「ファンタジー世界」などのスレの世界に則った、オリジナルのキャラクターのプロフィールを投下して待機し、他の時間の合ったユーザと二人でえっちなSSを交互に投下していくということ専門の場所だ。平たく言えばチャHである。女子高生や魔法少女や正義のヒロインになりきり、容姿や性格や希望プレイのシチュを書いて、深夜におっさんとおっさんが電子掲示板を通してエロいことをする高度なチャHである。今にして思えばこの世の地獄と言ってもいい。そんな場所に俺は降り立った。先に言っておくが、完全にROM専だった。

でも実際エロかった。百戦錬磨のおっさんたちによるチャHは、まるでおっさんを感じさせなかった。なりきりのセリフだけでなく、相手との時間打ち合わせなどのやり取りに置いてもキャラクターを崩さず、貫き通す姿勢、彼らは正にプロだった。チャHのプロだ。そんな洗練されたプレイヤー二人が織りなす共同作業。ごく稀に、リアルタイムでお楽しみ中のスレを見つけたらラッキーだった。

プレイ中に「おっwやってんね〜お二人さんw」などと茶化す無粋な輩は存在しない。じっと二人だけの時間を見守る、幸せな空間がそこにはあった。ときには何日にもわたって書き連ねていく、二人だけの物語。全てアドリブで展開されていくそれは臨場感があり、パートナーのことを考えねば成功し得ない。そんな芸術作品を俺は眺めていたのだ。

 

話が逸れた。今のオリキャラ板のくだりは忘れてください。ついでに、BBSPINKを見ているうちに、近い位置にあったニュー速VIP板を見つけ、俺はそこにも住み着くようになった。

 (あと、執筆中に5chを改めて見てみたら、すげーいっぱい板増えててびっくりした)

 

 

機工城サークルクラッシュ律動編

俺は高校生になった。相変わらずコンピュータ部に所属した俺は、そこで幸いにも良い友人たち(同志)に恵まれ、オタクとして充実した日々を過ごした。いくつかのネトゲを一緒にプレイしたり、ポケモンの対戦や厳選にハマりだしたのもこの頃だった。エロゲに手を出し始めたのも……ごにょごにょ。

この頃、俺のネット事情はというと色々なグループを転々としていた。作品について雑談するスレ、ネトゲやろうずwみたいなスレ、スレ主の作ったゲームを皆で遊ぶスレ。色々住み着き、色々離れた。というのも、俺が参加したコンテンツはだいたい数カ月で崩壊していったのだ。

それは雑談スレに荒らしが混じっていくものであったり、シンプルに過疎化していくものであったり、一緒に遊んでいたネトゲがサービス終了するものであったり、色々だった。

2chで知り合った人たちとメッセンジャーを交換し合ったりしたこともあったが、めっちゃ絡んでくる鬱陶しいやつがいたりしたこともあって、長続きしなかった。

俺はそんな頃に、幽霊部員のまま放置していたトリックスターに一瞬だけ復帰していた。インしていない間にあった大型のアップデートで巨大クエストが増え、それをこなすと自分だけのペットのようなものが呼び出せるようになるのだ。

数年ぶりにログインし、画面に映し出された風景を見て、最後に落ちたのこのマップだったなぁ、と過去に思いを馳せていた。「久しぶり!」ギルドチャットで突然挨拶が飛んできた。ギルドのマスターが偶然にもインしていたのだ。除名されていなかっただけでもありがたいのに、話しかけてきてくれたのを見て、ありがたかったが、逆に申し訳なくも思った。

俺はそれから数日間、そのクエストをこなしていた。攻略情報をマスターや他のメンバーに聞きつつ、昔のように雑談をして、久々の懐かしい世界を楽しんでいた。見慣れた町には知らないNPCがいて、凶暴だったアクティブモンスターは修正されておとなしくなっており、更に強い敵がいる未知のエリアも増えていた。

そこそこ長い連続クエストだったのだが、ドロップ率の低いクエストアイテムが簡単に掘れたり、強力なボス戦を運良くすぐに突破したりと、トリックスターは俺を優しく迎えてくれた。クエストの中で、モンスターからたまにドロップするカードを1000枚以上、大量に必要とするシステムがあったのだが、俺は過去にひたすら狩り続けていたアラクネのカードをネタで2000枚近く倉庫に溜め込んでいて、それが役に立った。過去の努力は無駄ではなかったと思わせてくれると同時に、当時の思い出が蘇ってくるようだった。

その末に、俺は連続クエストをクリアした。貰えたペットの性能も完璧なものであり、非常に満足していた。それを最後に、俺はトリックスターの世界にインすることはなくなった。せめて、メンバーたちに最後に挨拶だけでもしておけばよかったと今では思っている。当時はあれが最後とは思っていなかったので、無理な話だったのだが……とにかく、俺の青春そのものだった世界とも、別れを告げたのだ。

 

一方で、高校の友人たちとは毎日のようにチャットで集合したり、Skypeで駄弁りながらSDGOなるガンダムネトゲをやったりするようになっていった。彼らとは今でもたまに遊んだりする仲になる。

この頃から、俺はインターネットを居場所ではなくツールとして見るようになった。

やっぱりリアルの繋がりは大事だった。遠くの親戚より近くの他人とはよく言ったものだ。幸せの青い鳥は、いつだって近くにいるのだ。ここで良い友人に会えていなかったら、俺は今でも電子の海の底で煽り合いを繰り返すだけのゾンビになっていたかもしれない。

以前の俺はインターネットを使っているつもりでインターネットに飲み込まれていただけだった。自分の世界はインターネットの中にしかなかった。だから周りが見えなくなり、またのめり込む。負のループだった。

ただ、小中学生を暗黒の時代として過ごしコミュ障だった俺を支え、煽り合いの宇宙の中で対人経験を積み、そして極稀にいい人たちと巡り合わせてくれたのもまた、インターネットだった。トリックスターの世界でギルドの人たちと過ごした日々は間違いなく楽しいものだったし、2chで一緒に遊んだクソどもの中にもたまに面白いやつがいた。インターネットに感謝しているのも事実なのだ。

インターネットは全てを受け入れる。それはそれは残酷な話ですわ。

 

 

機工城アイドルオタク天動編

高校を卒業した俺は専門学校に入り、そこでもやはり良い友人たちに恵まれた。一緒にネトゲをプレイしたり、夜通しMinecraftしたり、TRPGに初めて参加したりもした。

ここで改めて、今現在の俺がハマっているコンテンツを上げておこう。LOL(ネットゲーム)とラブライブ!シリーズ(アニメ・声優ライブ)の2軸だ。どちらもこの時代に出会い、今も趣味として続いている、俺を構成する要素だ。

この2つが長く続いている点として、共通の趣味を持つ友人とも一緒に出会えているというのが大きいだろう。自分一人でも楽しめるコンテンツではあるが、やはり誰かと一緒に騒ぐのは楽しい。当たり前だった。

なんかこの記事の流れでハマっている作品を書くと、いつかこれらの趣味も飽きてしまうんじゃないかと思うが……その時はその時だ。"今を全力で楽しむ"ことの大切さを教わった俺は、そんなことは恐れない。それに、どちらの作品も日々新しい展開が待ち受けているので、まだまだ楽しめそうだし、楽しませてくれそうだ。

そんなわけで、俺はもうインターネット上での活動をほとんどしていない。2chもおーぷんがどうのこうののゴタゴタで一切見なくなった。Twitterは新たに始めたが、居場所というよりは、やはりツールや独り言をつぶやく場所だった。そこで知り合った人もいるが、まあそれはそれで喜ばしいことだ。

 

結局、俺にとってのインターネットとは"生活保護制度"のようなものだったのかもしれない。人間として最低限の文化的な生活のための、人との繋がり合いを提供する場。リアルが充実していない人間が、人間関係を求めるためのツール。そして、今は……充実しているかはさておき、満たされてはいる。だから俺はインターネットの保護を受ける必要がなくなったのだ。

この記事を書いて、俺のインターネットへの想いがはっきり固まった気がする。過去の俺と遊んでくれてありがとう。また没落したらよろしく。

 

ところで、ラブライブとの出会いについてはいつかまた、別の記事で語らせて欲しい(さすがに長くなりすぎる)。

 

 

 

さて、最初に書いたとおり、特にオチはないですが、以上が俺とインターネットの付き合いの歴史でした。いかがでしたでしょうか。勢いに任せて書いていたら意味不明なほど筆が載ってしまい、面白いのか面白くないのかも判断が着きませんが、読んでいただけたら幸いです。いや幸いか?俺の赤裸々話が暴露されただけでは??

わかりやすく書いたつもりですし、老人会らしく死語も使ってみたりしてみました。……まあ多少は脚色もしましたが、概ねが事実です。あと、自分のこと語るのって楽しいですね!小中学生時代はマジで黒歴史なのであんまり人に話したことはなかったんですが、面白おかしく書いたことで多少すっきりした気分になりました。やっぱり貯め込むのは良くない。ネタは何か形にすることで消化され昇華されるんだな。と思いました。(激ウマギャグ)